思いたったら吉日ヽ(`▽´)/

エンジニアの雑記帳

~回想~自分が忘れないが為に書き綴る覚書

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どうも、ITドカタの「針たむ」です。

ここ最近、軽い物忘れが起こりやすくなり、自分でも将来的にボケるのではないかと不安になっている今日この頃。

そんな不安が過り、大事な思い出を忘れてしまわないようにと、今回は昨夜みた夢とその夢がきっかけで思い出した少年時代の事を書いていきます。

筆者は昔、地元の悪い仲間たちと離れ離れにさせる為に、親と学校の先生とが隠密に進めてきた計画(笑)にハマり、地元より遥かに(当時は遠く感じた)離れた横浜市へ強制的に就職させられた経緯があり、その結果、さらに悪行三昧をマスターしてきたというしょうもない経歴を持っています。

 

当時、横浜で生活していた中で、最も思い出が色濃く残る事があり、思い出せばまたしばらく忘れることが出来ないであろう深き思い出・・・・

 

地元を離れる日

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15歳(誕生日が12月だったので周りは16歳が多かった)の冬、地元から去った。

せっかく入った商業高校も2ヶ月足らずで退学処分となり、高校へ通わない、いわゆる”無職”の友人たちと遊びに明け暮れる日々、恐らく当時の両親は警察沙汰が多くなった僕を見ていられなくなったのだろう・・・

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後日、家庭裁判所へ行った帰り際、自分に両親は言った。

「明日の朝イチの新幹線で横浜へいくぞ」と・・・

正直、何を言っているのかわからない自分がいた。

結局、流れに身を任せ、内心は「行きたくない」というのと「横浜行ってみたい」という気持ちが半々だったのではないだろうか。

そのまま、親に同伴されて新幹線へ乗り込み、横浜へ向かうこととなった。

「田舎よさらば!」と、心の中で叫んでいたかどうかは定かではない。

都会での生活

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横浜に到着し、向こうでの身元引受人という人物の家へ一週間ほど滞在した。その人物の口利きにより日産自動車系列の会社へ就職することとなった。

その会社の敷地のそばに会社で所有する古びた木造アパートへ入居することとなり、地元ではプチ家出のような生活ばかりしていた自分にとって、念願の”一人暮らし”でもあった。

毎日決まった時間に出社して働き、会社の先輩たちから色々な技術を教わり、毎日が初体験のことばかりで日々、驚きと充実感に満たされる日々が続いた。

それなりに横浜や仕事で移動する関東全域の地理関係も覚え、自分の中では一人前の社会人になったつもりだった。

新人入社

そんな生活が3~4年続いただろうか、会社に新人が入ってきた。名を「トシ(仮名)」という

初めての部下である。嬉しかったのはもちろん年もあまり変わらない感じだったのですぐに仲良くなり、部屋に呼んで酒盛りをしたり遊びに出たりして、仕事もなんとなくではあるが、少しだけ楽しさが増したような気にもなった。

しかし、「トシ」はこの辺りでチームを結成している”暴走族チームの頭”だった。

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だからといって、付き合い方は別段変わらないのだけれど、その「トシ」の周囲の人間たちが自分の周りに集まるようになってしまった。

それが今回の記事の内容の序章的なものであり、きっかけでもあるのだが・・・ついで言うと、「トシ」はあまり関係ないかも知れない(笑)

消えた「トシ」

ある朝、「トシ」が出社してこない日があった、当時は携帯電話などというような便利ツールなんて無かったため、連絡の取りようが無く、その日の夕方に「トシ」の部屋へ行ってみた。が、なんの応答も反応も無く留守のようだった。

しかし後日、会社の方へ「トシ」が警察に捕まったという知らせが届き、会社内が騒然とした。

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どうやら、夜の部の遊び(暴走族)が原因で捕まったということらしい。暴走族活動(笑)をしていれば自然の成り行きなのであろうが、逮捕されたという話を聞いて少し寂しい感じがした。

「トシ」がいなくなり、部下のいない状態が続き仕事もあまり楽しく無くなった事も少しだけあった気がする。

しばらくして、「トシ」の鑑別所行きが決定した。正直、愕然としたが自分が何か出来るわけでもないし、どうにもならない事だった。

「ドンドン」、「ドンドン」「トシ」が鑑別所に送られて何日かの後、自分の部屋のドアを叩く音。

玄関へ行きドアを開けると見覚えのある顔が二つ。

「トシ」の暴走族仲間だった。二人はすぐに挨拶の後、「トシの荷物を預かってほしい」という旨の話をしてきた。

その二人とは面識は少しあるが、話をしたことはない。名を「竜二」と「タカ」といった。

別に「トシ」の荷物であれば構わないという返事をして荷物を預かることにした。

しかし、その荷物が問題だった。今まで目にしたことが無いほどの量の”一斗缶”、約20缶程である。

中身はまさに「シンナー」であり、純度99%以上のいわゆる「純トロ」というやつだ。だからといって、当時の自分は特に深く物事を考えなかったのか特に抵抗感もなかったし、実際に地元にいたときは、軽い?アンパン小僧でもあったのですぐに受け入れる事ができた。

そしてその日から生活が一変したのも事実で、夜な夜な、その仲間+その仲間達のような感じで我がスイートルームはただの溜まり場と化していったのである。

本来、売り物(盗品?)であると思われるシンナーがドンドン消費されていく中、自分もその中に混じって消費者という立場になったのは説明するまでもないだろう。

二人の少女

そんな変化のないダラダラとした夜の部の生活が続いたある日、「ゴイチ」というかなり年下の少年が訪ねてきた。

その後「ゴイチ」は「トシ」の後継として次期の頭になることになる。

「ゴイチ」とは初対面だったが、こんな状態の溜まり場と化した部屋、何も気にすることもない。

お互い軽く挨拶をした後、部屋へ招き入れた。

すると、「ゴイチ」の後ろから二人の少女が一緒に部屋へ入って来た。「エバ」と「マユコ」である。

どうやら「マユコ」は「ゴイチ」の彼女らしく、「エバ」はその友達のようだった。

「マユコ」は人並み外れた顔立ちの美少女で例えるならば、「フランス人形」のような白が良く似合うイメージを持った少女だった。

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色々と話を聞くと二人はまだ、中学生で自分のいる釜利谷町からは少しばかり離れた地域に住んでいるようだった。学校はあまり行ってないようで暴走族連中の悪い遊びに付き合って遊んでばかりいる感じだった。

それ以外にも見知らぬ少女たちが部屋にいることも普通にあった。それは恐らくこの部屋に来ればタダでシンナーにありつける的な情報が少女たちのネットワーク上で広まっていたのだろう。

エバ

その中でも頻繁に、一人でも部屋に来ている少女が「エバ」だった。「エバ」は本来、「由美」という名で、自分の地元では耳にしたことがない、「江波戸」という名字で連れの「マユコ」がそう呼んでいたため自分もそう呼んでいた。

エバ」は小柄で赤いパーカーを羽織り、なんとなく猫っぽい印象を持つ少女で掴みどころがないというより、目を話すとどこかへ消えてしまうような、そんなイメージをもたせる少女だった。

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初対面の時にその友人の「マユコ」は、女の勘というか鋭い洞察力というのか、以上に自分が「エバ」のことを意識している事を見抜いた。

「マユコ」の指摘の通り、自分は「エバ」に対し特別な感情を抱いていたのだった。何にそんなに惹かれたのかはわからないが、自分にとって「エバ」の存在は特別なものであった。

当時、仕事の内容としては週末は出張が多く、連休時なども工場のラインが停止するためにそのタイミングで機器の修理やメンテナンスを行っていた。当然、家にいることは平日の僅かな日数だけで、家を明けるときは2ヶ月とか普通に空けていたのだが、ある日出張に行く前日、「エバ」の口から「早く帰って来てくださいね(´;ω;`)」と告げられ、もう可愛くて可愛くてどう仕様もない状態に心が踊ってしまったのを覚えている。

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エバ」は誰もいないときでも一人で訪れ、自分が外に食事に行くときは必ず「お供します(^o^)」といって付いて歩いてきたものだった。

未成年だったのに一緒にお好み屋で酒を飲み、カラオケをしたりして楽しんだ。その時に「エバ」が歌ってくれたアンルイスの”Woman”が何故か未だに心を揺らすような思い出の曲になっている。

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とにかく少しでも多くの時間を「エバ」と過ごしたかった。

家が離れていて徒歩とかチャリではとてもじゃないが行き来するきにはならないが、当時、車の免許は既に取得していたので会社の車を借りてわざわざ「エバ」の家の前までこっちから迎えにいくようになった。

自分のなかには既に「エバ」だけしかいない。

エバ」は自分の中でそれだけ大きな存在となっていた。

しかし、そんな日々も長く続くわけもなく・・

会社と両親へ全てがバレた日

数週間して出張から戻ると部屋には誰もいなかった。

それに何故か部屋が妙に片付いているではないか、あいつら?いやいや、そんな事するような連中じゃねえし・・・・

などと考えて見たが、部屋がきれいなことは良いことなので特に気にも留めずいつものように仲間たちを呼んで”夜の部”の生活をスタートさせることにした。

そこで思いもよらぬ話が出てきたのだ、どうも自分の出張中に会社の人が田舎の実家へ連絡しココ最近の友人関係の状況などを話したらしい・・・

当然ながら普通の親ならばすっ飛んで来るだろう、うちの親も例外ではなかったようで案の定すっ飛んできたらしい。

いざ、会社側から合鍵をもらい部屋へ入るといつものように何人かがタムロしており、シンナー臭が物凄く、あまりの信じがたい状況に親は驚愕したという。

当然だ・・・普通の家でこれは無い・・・・

ひとまず、部屋を占拠していた仲間たちを追い出したそうだが、幸い(?)一斗缶達は仲間たちが分担して持ち出したようで事なきを得た模様だった。

この事がバレたということは仲間内からは聞いたが、当の両親たちは未だにそれを隠していて、そういった話すら振ってこないが・・・・

心配かけてすまん。親たちよ・・

突然の事で部屋に集まっていた仲間たちも驚いたろうし、親たちはそれ以上の驚きか、それとも半ば諦めていたのか、そこは今更聞こうとも思わない。

その後の自分と言えば、相も変わらずシンナー浸りの毎日で、以前とほとんど変わらない生活状況。

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暴走族の集会の日となれば一緒になって横浜市内を走り回る日々が続いた。

そしてある日のこと、寝ている自分に「竜二」が声をかけ起こした、寝ぼけ眼で話しているうちにスプーンを持ってきて何か白い塊を水で溶かし始めた。

それはまさに「シャブ」、覚せい剤というものだった。言われるままに腕を出し肘の内側の血管へそれは打ち込まれた。

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髪の毛が逆立つような感覚、普段口にしないような言葉、そして普段なら絶対にすることがない異性への真夜中の電話等、とにかくテンションが上がるだけだった。

それが慢性化し、給料の殆どをそれにつぎ込みはじめ、仕事もいつしか休みがちからまったく行かなくなった。

それでも、会社自体はクビになることはなく、社宅であるこの部屋へ会社内の誰かが訪問するということも無かったせいか一層、生活は堕落した生活となった。

暫くして、田舎の両親と親戚が何名かこの地に訪れた、何のことはないいわゆる強制送還ってやつだった。

自分的にはもっとやりたいことや計画していたこともあり拒絶はしたものの、未成年である以上、社会的地位も考えればそんな戯言は通用するはずもなく、あっけなく田舎へ連れ戻されることとなったのである。

そこで初めて、自分のしてきたことへの後悔の念が現れてくることとなるが、連れ戻される時に頭に浮かんだこと・・・・

それは「エバ」のことだった。

そういえばここ最近、覚醒剤だけに依存して「エバ」に連絡すらとっていないし、他の誰とも連絡が途絶えていた。

ある意味、覚せい剤中毒患者の末期的な症状を起こしていたのだから、それもしょうが無かったかもしれない。

ただ、今だに「エバ」のことすら忘れてしまう程の快楽が覚せい剤にあったとは思えないが、そのことだけが30年近く経った今でも悔やまれる事でもある。

脳裏に焼き付く想い

結局、地元へ連れ戻された自分は兄の説得で、仙台の運送会社へ就職することになった。

その時の心情は覚せい剤のことしか頭になかったのだが、やはり仕事を勧めていくに連れ少しづつ薬関係のことは忘れて行くようにはなった。

そして、はじめは近県の配送だけを行っていたのだが勤続が永くなるに連れ長距離運送の仕事に変化していくことになる。

もともと横浜近郊の道路に関しては詳しくなっていたので、関東方面の運行は自信があったし、金額的にも県内の配送より遥かに高いため、何の抵抗もなく受けるようになった。

そのうち、長距離輸送をしているうちに横浜市内への輸送があり、目的地へ走ることとなった、そこで見覚えのある横浜新道、横浜横須賀道路等、走っていいるうちにふと、頭に洋光台という標識が目に入った。

洋光台・・・・・「エバ」の家だ・・・

そう思った瞬間から「エバ」のことが頭から離れなくなってしまった。

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エバ」元気だろうか・・・

もう誰かと結婚したんだろうか・・・

俺のこと覚えてくれているだろうか・・・・

とか、夜の横浜で走りながら考えるのはこのことばかりで、この後も横浜に訪れるたびに「エバ」のことばかり考えるようになってしまった。

実際、それが何年も続いた・・・・

過去から現在へ

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それから十数年経ち、自分は地元の同級生と結婚し早くも30年の歳月が流れた今、毎日平穏に今の嫁さんと生活をしている。

そしてつい最近、たまたま寝れない夜があり、色々と頭の中で過去のこととか回想するような感じになり、自分の中での忘れてはならない、いや、忘れられないであろう思い出として今回、ブログに書き留めたものです。

あの子は今、何をしているんだろう・・

あの子は幸せに生きているんだろうか・・

あの子は一時でも俺のことを覚えてくれているだろうか・・・

今もあの子の事を考えると少し切なく、あのときこうしていれば・・とか、言葉にできていれば・・・とか、後悔に近い想いがただ・・・・

今となってはもう取り戻せない10代の淡き思い出・・・・

今一度、あの子に逢えることができたなら、思いの丈を伝えよう・・・・

 

最後までお読みいただきありがとうございました。(/_;)

 

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