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エンジニアの雑記帳

10年と言う歳月

10年という歳月

こんにちは、ITドカタの「針たむ」です。今回は自分の過去10年という歳をさかのぼり書いていきたいと思います。

*2018.04.10 誤字の修正を行ないました

 

 

連休と言う事もあり

3月中は年度替りと言う事もあり休日返上での業務が続きましたが、4月に入って久々の連休と言う事で今日は朝からデータCDの整理をしていた。

そこで色々と懐かしい写真データが出てきたので先ほどまでSNSやらなんやらに投稿しまくっていたわけですが、現在の事業もいいけれど10年前の自分のほうがやる気のある人間だったのではないかと感じたので記録しておこうと思う。

現在の職業

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さて、現在の職業はと言うと税務上の届出としては「プラントエンジニア」と言う事になっている。

しかし身内が経営する会社のサポートとしてどういうわけか「送電業」の基礎部の工事を行なうのが365日のうちの大半を占めている気がする。

一年を通して平均して仕事があるのはいいけれど仕事の内容的にも単価的、体力的な問題があり事業を行なっている身にして見ればかなり厳しい現状でもあることは以前からの記事にも多少は書いていると思う。

10年前の自分

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*当時30代の自分

 

10年前といっても約10年位前と表記したほうが正しいかも知れないが、以前は普通の建設会社に勤めていて、そこで現場代理人と言う業務について市町村・県の公共工事に携わっていた。

現場代理人とは言っても正社員数が自分と役員を含めて5人程度で常務・常務の嫁さん・自分・そして若手が2人程度で、実際に現場で動けるのは最大3人というの小さいBランクの会社だった。

上司がいない会社

ただ、この会社のおかげで自己流ではあるが色々なスキルを身に付ける事ができたのも事実で、入社後ほどなくして現場代理人に強制的にさせられるわけだが教えてくれる上司というものが存在しないため、何をどうすればいいのかさえ見当も付かなかった。

実際には入社する前までに土木(作業員として)の経験はそれなりに積んでは来てるので押さえるべき数値などは少しは理解していた。

ただ、本格的に測量や丁張の計算となると、電卓は持っていても計算の方法が全然わからない(笑)

Windows98とダイヤルアップ

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*画像は当時の現場事務所のもの

 

たまたま30代の前半にパソコンに興味を持ち、当時確かWin98がメインのOSだったデスクトップ機を購入し、今では考えられないダイヤルアップ回線と言うものを使用してインターネットに接続して測量の事や丁張の計算方法、役所への書類を提出する際のルールや雛形等、この頃に少ない脳みそへ無理やりインプットしたものだ。

この会社に入ってからADSL接続と言うものを初めて知ったわけだが・・・

当然ながらCADなどと言うものは聞いた事すらないので全ての計算は電卓と野帳を持っての手計算のみでトータルステーションを操作して丁張設置、施工面積の算出、用地測量など行なっていた。

とにかく毎日が勉強

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*自分でブルに乗り写真を撮ってもらう図

 

とにかく日々、自己流の勉強と実施の繰り返しで、現場を先行させなければならないので筆頭に立って現場作業を進めなけらばならない。

代理人という肩書きはあっても実際は少人数で現場をこなさなければならず現場事務所に篭っているわけにもいかない。

エクセルやCADなど当てにもできないのでやはり手計算で全ての計算をこなす日々、作業終了後に現場事務所Or会社の事務所にてインターネットで調べて色々と勉強して夜中までかかってその日の業務を終了させる。

周りからは「こんな会社ねえよ」みたいな事を言われても居心地はよいので居座った(笑)

なんとか他の会社の現場を覗いて見様見真似で現場を進め、赤字を作る事なく工事をこなしていった。

覚えてしまえば楽チン

そんなこんなで、ある程度の知識と経験さえ積んでしまえば他の作業者達と比べれば普段の日は楽な部分も多いのでやめられないのが代理人という仕事じゃないだろうか、人数が少ないと自分のように現場作業→現場作業→現場作業→現場作業→事務作業というような一日のサイクルになりかねないが・・・

ましてや自分が計算してかけた丁張にしたがいモノが作られていくというのは最高に気持ちが良いものでもある。

しかし間違いを犯したら最後、やり直しという手戻りが発生するため作業者に対して頭を下げることも何度かあった。

そして現在

しかしながら、その会社も平成19年頃だったろうか

入札条件の見直しのようなものがあり、入札前の安全管理等の計画書の提出が義務付けられたか何かでこんな弱小会社の作る安全計画書では入札に参加は出来ても工事を落札することが困難になり約1年後に赤字が出来る前にということで「倒産」という方法を取ってしまった。

幸い赤字もないので保証的なものや金銭的なものは結構頂いたのだが・・・

1年近く失業保険に養ってもらい、地元のゴルフ場に勤務することになるが、わずか半年ほど後に「東日本大震災」に見舞われる事となる。

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*震災後しばらくしてからの石巻水産団地

 

そこで再び倒産した会社の常務から個人的に連絡が入り現在のプラントエンジニアという業種に転向していくわけだが、当時の石巻の復旧作業現場にて現場所長として滞在しながら日々勉強が始まり、AutoCadを使用しての設計、製図やプラント設備の仕組みを理解するのに約1年かかって現在の「ササキエンジニア」という事業を立ち上げる事ができたのは言うまでもない。

なぜか送電業メイン?

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石巻に滞在してから約3年以上、とあるプラントメーカーの専属として毎日関東~東北全域にわたり排水処理施設の設計管理を行なう業務をおこなっていたが、女川の排水処理施設の新設現場にて心労的なものでプラント業務を放棄してしまった。

それ以来、身内の経営する会社の手伝いをする感じで何故か「送電工事業(基礎)」にドップリとハマっている。

しかし一度現場を放棄したにも係わらず、プラントメーカーさんのほうも体の拘束がない条件下で契約を続けてくれているので定期的に安定した収入が得られる流れではある。

正直体も収入面もしんどい「送電業」の作業だけでは今の生活は維持できないのが現状。

更なる収入を得るために

送電事業は体が資本なのでいい加減この体が耐え切れるという保証はないし、収入もしょぼい。この先、プラント事業のほうが永続的に続く保証はないので現在はコツコツと毎日、アフィのほうに力を注いでいる。

アフィと言っても物販アフィリのような一度限りの収入で終わるアフィではないので年金的な位置付けで地味に稼いでいるのだが、これが割りといい収入となっている。

年金的なアフィって?

ここで新たに内容を書くのは結構しんどいのでリンクを用意したのでそちらを参考にしてみて欲しい。

ワンペラサイトなので簡潔に作ってあります。

 

harrytam.site

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

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